次には、約1名が希望しておられます、長唄の代表選手だった(過去形で書いたのは、長唄が非常に盛んな頃、知らない人は無いくらい有名だった…今は/(∋∈)\)…元禄風花見踊と参りましょう。
何と歌詞に、ふりがなが付きました。しかし、画面サイズが小さくなると改行の具合で「ルビも歌詞も2行づつ」になってしまいます。その時は照らし合わせて下さい。 元禄風花見踊 <げんろくふうはなみおどり>【歌 詞】【”ふ”は現代では”う””お”など】
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【元禄風花見踊】 時は元禄。江戸時代のもっとも華やかかりし時代です。 上野の山は花盛り。 錦糸銀糸の小袖は及ばず、派手さを競った伊達模様、今最も流行している新奇な小袖模様、と、お花見は絢爛豪華なものであったようです。 それでは、ちょっと中を覗いてみましょう。 濃い紫の地に鹿の子絞りの六尺袖。 裾には八ツ橋を染め、手先揃えて連れているのは岡崎女郎衆です。 その、そぞろ歩きには、何とも言えない浜松風の音が聞こえてきます。月と花、どちらを眺めたら良いのでしょう。 小袖を真紅の紐でかけ繋いだ幕の中では 目もとまで衣をかぶった侍女が踊っています。お顔が見えたらどんなにいいことでしょう。 花見とくれば酒盛りです。深編笠をかぶった侍が大杯を片手に酒をあおっています。 おや!あちらでは腰に瓢箪、毛織りの巾着をぶら下げた供奴が、酔いにつれて踊っています。今日はとても月の綺麗な晩です。 岡田はちまきに短い羽織り。刀をさした武士の下男と、その主人が編がさを伏せて踊っています。その隣では町人衆も踊っています。やはり、上野の山は花盛り。いつ更けるともなく続きます。 |
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さて、この花見踊は、「元禄風」と付いてはいますが、作曲されたのは、明治に入ってからです。竹柴瓢助が作詞しまして、3代目の杵屋正治郎が作曲しました。 この曲は全部二上り(にあがり)(*脚注1*)という調絃(それを調子と言う)でとおしています。二上りという調子は一般に華やかな感じに聴こえます。 そして、「有名」と称する部分は、上記歌詞中、特に赤い文字で書いてある『連れて』からの部分のフレーズ、「♪どーんちゃちゃーん ちゃちゃつちしゃん」以下『音は浜松よんやさ』までの部分が大変明るく、また、覚えやすい感じで、昔の映画などに多く採用されてきました。 忠臣蔵(*脚注2*)で、大石内蔵助(おおいし くらのすけ)が遊廓で遊ぶ場面など、ほとんど満開の桜の下で目隠し鬼ごっこなぞをして遊んどる(けしからん!うらやましい)場面に使われたりしてきました。 で、華やかだからと言って、かなり調子がいいので、少し上達すると、勢い早く演奏しがちですが、「ゆったり華やか」の雰囲気が出れば面白くなります。 終わりの方に長い三味線だけの部分(それを・合方or合の手・と言います。)は、あまり早くならずに気をつけましょう。 この合方で、当時聞いたのでしょうか、ワルツ?のように3拍子部分が少しだけ取り入れられていまして、大変めづらしい手(曲のメロディー)となっています。 *注1 「本調子は3本の絃が、低い方から、一/シ・二/ミ・三/シの関係」で、調絃の基本。 「二上りは、シ・#ファ・シ と、二の糸が一音上がる」 「三下り(さんさがり)は、本調子から三の糸が一音下がり、シ・ミ・ラ の関係」となります。 *注2 「忠臣蔵」を知らない若い人が増えてます。驚いてはいけません。供給が無く、需要も無かったからです。「勧進帳」も当然内容を知りません。(名前すら) これらは、芝居を観るなり、映画、特に昔の映画を観てもらいたいです。事の歴史的真偽は別物として、世間一般の、所謂「巷間」の話としての物語が、人々を魅了してきました。 その感性が、この四季を彩る風情豊かな日本で好まれて来た魂だと思うからです。 |