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言わせとくえ〜の7【暗譜と演奏】 |
| 【暗譜と演奏】 《三味三昧》通信より 杵 屋 徳 衛
長唄の演奏場面を見ますと、三味線の人はうつむき加減で多くが演奏しているようです。私も若い頃は何となく下方を向いていました。 古典は暗譜することが大前提ですので、下を向いていたり、ある一定の角度で一点を睨んでるとか、伏目にしていると、覚えた手が忘れずに出てきやすかったりするものです。 それがためにしっかり覚えて自信を持って演奏しているつもりでも、見ている方からするとなんだか頼りなげです。横から見ると首だけ突ん出たりしています。 ビデオと言う文明の利器は、後からテレビで観ている時は第三者の目で観ることが出来て、反省をするのには大変有効です。 相当昔のことになりますが、そうした気持ちで自分の幕外大薩摩のビデオを観てて、舞台での自分の心理状態をよく覚えていましたので、客観的に観たその頼りなさと、自分の心理の記憶との落差が非常に大きくて、愕然としてのち、猛反省したことがあります。 爾来、演奏の時は手のことよりもむしろ姿勢を考えながら舞台に乗っています。最初のうちはほとんど私だけが正面を見ている姿勢で、少し気が引けましたが、(身長も高いので座高も高い)恥ずかしさを乗り越えてきました。 視線をフットライトの少し前とか、客席の前方などに置くとかいろいろいわれますが、それでも観客席から見ると、目は伏せているように見えますし、うつむき状態で頼りなげです。 しかし、客席の前方辺りを見るのと、顔を真直ぐにして後方まで見渡す様にするのとでは、顔の角度としてはさしたる違いが無いのですが、演奏はことさら格段に弾きにくくなります。 どうやら、別に三味線の棹を見ながら弾いているわけでは無いのですが、暗記している人にとってみると、棹が視野から完全に外れてしまうと、演奏しにくくなるようです。 役者でも無いので正面を見据えることは大変照れくさくて勇気がいります。しかし舞台はお客様が見て下さるものです。演奏者は目立つなと言われて育ってきましたが、目立たなくするなら舞台に乗らなければいいのでは?とも感じます。お客さまにしてみれば、演奏者も立派な「視る人」なのです。 舞台は出演するだけですでにもう派手なのです。目立つのです。演奏姿勢や内容など、演奏する人もそこまで考えて演奏したいものです。 何十年も思ってましたが、最近、姿勢良く真直ぐ向いて演奏する方々が増えてきたようで、とても嬉しく思ってます。そして、ベテランからも若手からもスターが大勢出てくれると活気が出てきて、長唄も盛んになって行くのではないかと思うからです。 |