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そのNo6《たんなるおはなし》

【吉祥寺町内水泳会救出作戦】   昭和30年ころのおはなし。

 武蔵野市に古くからお住まいの方はご存知と思いますが、この大商圏になった吉祥寺にも昔は町内会のようなものがありました。  私が子供の頃住んでいたのは、今の”たかQ”の辺りです。  チェリーナードは「仲町通り…なかちょうどうり…」と呼んでいました。

 その頃の夏といえば、道先に打ち水などで涼をとったり、縁台を出して”浴衣に扇子”という姿が自然な風俗の頃です。  勿論行水も有って、その時代の男性諸氏は結構楽しみが有ったと思います。(塀は杉板塀で、下の部分3尺程は七分…20センチくらい…の板が横に打ちつけてある)が、そうした時代ですから、子供達ならず大人たちも夏のバカンスには、こぞって泳ぎなぞに出掛けたものです。

向こう三軒両隣り♪♪回してください回覧板教えられたり教えたり♪♪という感じで、町内のおつき合いも結構有ったりした訳です。そして本題の水泳大会が、真っ盛りの夏に町内で計画されました。

 越後屋呉服店の今の社長や、福屋和菓子(昔のつりひげ…釣り道具屋さん…長〜いヒゲがあった主人…)のみなさんや、むさしやさん、三松さん、アキモトさん等など、商店街のみなさんと一緒に多摩川へ行くことになりました。 まだ子供でしたので、行くことになった経過など知る由もありませんが、兎に角大喜びで近所の人々と共に両親に連れられて出掛けたのでした。

 行き先は多摩川の「是政」。当時はこんな近所でも立派な一日のバカンスです。 水着・浮袋・手拭・お弁当等など。楽しいな!今思えば多分夏も終わりに近かったのでしょうか。夢中で泳いでましたが、やがて夕方頃、どこから来たのか台風がもろに来てしまいました。(その頃の天気予報・情報網を勘案してください) A(”あっ”と変換するよりも早い)と言う間にドヨドヨッとばかりに黒い雲が覆いかぶさり『おお〜〜いっ、引き上げるぞーーー』と、わらわらと是政駅に這々のてい(ほうほうのてい)で引き上げて来ました。

 ところが、皆さん、ところがです。駅に着いたは電車は来ません。そう、不通になってしまったのです。 ふつう「ふ・つ・う」は「普通」が普通の言葉ですが、この場合の「ふつう」は「不通」のふつう。 勝手に愚にもつかない言葉遊びをしているばやいではない!!駅はもう真っ暗。停電だーー。

 「がらっ!ぴかっ!」 「電車は来ません」のお知らせ。 びゅうびゅう、ざわざわ、ぎゃあーぎゃあー、ざーざー、どやどや、えーんえーん、と、しっくりくる形容詞の見つからない胸騒ぎと好奇心とスリルと不安。種々雑多な状態。

 大人達はきっと、無事に戻れるよう必死な思いで手を尽くしていたと思います。が、私達は「子供」。そんなことちいとも知りまへん。「今日はもう帰れないんだー」と思って、騒ぎの中に身を置いていました。 「えーん濡れちゃったよー」と、泳ぎに行けば濡れるのが当たり前なのに騒いでおりますと、喧噪の奥ーーーーの方から『しゅっしゅっぽっぽっぴーーー』『汽車が来たぞーー』(”船が出るぞー”の雰囲気で)。来ました来ました来ました!次第に逞しく近付いて来る汽笛とともに、雨煙りの中から、そのスーパー汽車がその姿を雄々しく救助にやって来たのです。

 歓声は尋常ではありません。ひたすら善良な市民は心からの歓喜でもって、黒煙と国電に愛情を感じたのでした。印篭は無いけど、一件は落着を見せ、安らかな平和を味わい、愛しい汽車の乗客となったのでした。

 不思議と、こうした経験の記憶はここ迄で、まだ止まぬ嵐の中をどのようにして帰宅したのかの部分は欠落してしまっています。汽車の煙と雷の轟きにかき消されたのかも知れません。

杵屋徳衛


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