私も漫画は大好きです。 子供の頃からも良く、描 いたりしました。この ページ構成も相当漫画的 です。…MUSEUM新館へ (非道徳な表現はしてな いつもり) だからこそ余計に強く感 じるのです。 このインターネットも無 軌道にならなければと、 祈っています。 |
オタク族の逆襲-心理編 最近ではないのです。子供の犯罪が起き易くなったのは。もう20年前だか30年前だか定かで無くなりましたが、子供が親を金属バットで殴りつけた事件がありました。隣のピアノの音がうるさいと、襲った事件もありました。まだいたいけな少年がさらに赤ん坊の胸にナイフを突き立てた事件もありました。(このころより段々ひどくなって来る) このような事件がおきるのは報道(週刊誌・テレビ・漫画も含む)のせいだと思っています。 まだ何も知らない子供心に飛び込んでくる残虐な画面や表現は、「真似をしてしまう可能性」を多大にはらんでいるのです。 私が「漫画家とオタク族が世界中を支配する」と書いたのは、新聞までもが事件報道の表現に「少年はキレタ!」などと、実際に記事にしているのが証拠です。その表現は漫画の表現で使われたのが始まりだからです。 「キレタ」少年も書いた記者も、すでに汚染されているのです。 基本的に報道に「自由」は有るのでしょう。しかし、そこには自ずと「しないほうが良い報道・表現」と言うものが有る筈です。 爆弾や毒ガスの作り方など完璧に必要有りません!!!(新聞・週刊誌に載っている事が、まま有る)。それを言えば報道関係者は決まって、「そんなの、原爆の作り方なんて調べりゃ図書館だってすぐわかる時代だ」と言います。が!その意見は間違っています。 調べなければ分からなくて良いのです。 精神状態が不安定になるのは人間だれしも有ることです。そうした状態に有るとき、たった「むしゃくしゃするから」と言う理由だけで、知らなければ「ヤケ酒」で済むものが、朝刊や週刊誌に載っていた爆弾の作り方を参考に、「そうか!そういう手も有るな!」と発想がそちらへ向くことが有るからです。 現時点よりちょっとだけこわい犯罪が埋め尽くす環境下が、より殺伐となって、さらなる深みへはまってゆくのです。 人の感覚と言うのは怖いもので、すでに知っている程度の事では「刺激」を感じなくなって、さらに強い刺激を求めます。 私はそれを「エスカレーター心理」と呼んでます。 その「面白半分・単なる興味本位」がどれだけ危険をはらんでいるかも考えず、より刺激的な事柄を求めます。また、そうした期待に答える提供者が現われます。 「興味本位」の記事は、弱い心を煽りたてます。昔から、そうした事は有るのですが、戦後の無秩序は、それまでの2、000年間で上昇した分を遥かに凌いで幾層倍にも達する感が有るのに、警鐘を鳴らす政治が現れません。 テレビ番組のしつらえ(装置・発想)や大仰さがほとんど漫画からの発想に埋め尽くされて、人の心の奥深くのすき間に入り込んでいるのです。 そして事件が起きる度に(これも場当たり的に)報道は「なぜ少年Aはそうしたか」などとまくしたてて、○○評論家なる者や学者が登場して、方向違いの対象療法をもっともらしく解説してのける。視聴者は「そうか!」と同じ意見にならされる。社会の目はその一方向へ向く。 「なぜ少年Aは…」では無く、その前に悪いのは「報道の自由」「表現の自由」と言うお題目を、『勝手』と間違えた解釈で『無秩序』に運用している所に有る。 責任は大人に有ります。大人から改めませんか。 〈支離滅裂乱文集より〉 |