ここの「」にも沢山あるように私も写真を子供の頃から撮っていた。
別段“賞”をねらうとかいう気持を持ち合わせていない(長唄以外に必死にしなければならないものは抱えたく無い)ので色々なコンテストで入賞した作品に感心しながら鑑賞している。
最近カメラはデジカメが主流と言って良いくらい浸透した。
そうした中、ついにある新聞の写真コンテストでデジカメで加工した写真が入賞した。(デジカメ部門での入賞でした。他との渾然一体の中での入賞ではありませんでした。m(__)m)
入賞者には本当にお祝を申し上げたい。
ただ、入賞を選択した審査員の心理(時代に即応しようと考えた)は手放しで喜んでいて良いのだろうか?
入賞した方には大変申し訳ないが、私は疑問に感じる。(作品には一応感心してよくよく鑑賞した)
《写真》とは原則、加工せずに撮影技術と感性で美しく撮りたい。そこに価値があり、普通に撮っていたのでは良いものが撮れない部分でもあると思う。
ただでさえ“偶然性”が存在する分野でもある。(“それまで全くの素人がたまたま偶然に非常に良い写真として写っていた”みたいな部分のある分野です。)良い作品であれば、それは必然と認められてはいます。
しかし、今回の《デジカメ加工写真》が良い作品として評価の対象に含まれるようになってしまった時、写真は写した時点の芸術性を越え、後からいくらでも加工して創ることが可能となり、限り無く“作意”を写して行く事に繋がる危険があるのでは?と思う。(「おいおい、深刻に考えるなよ」の類いかも知れないが・・・)
例えの為にここに二枚の写真を用意してみました。必ずしも適切な作品ではありませんが、とにかくこの為に実例を作ってみたいと思ったからです。
この2枚の写真からこんな写真がいとも簡単に創りだせます。
(クリックで大きい画像になります)
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ここから更に幾つかの変形例を創ってみました。 |
このようにデジカメで撮ったものを更に加工した作品を許せば、実在しない映像が簡単に創りだせるのである。
σ(^^)が懸念しているのは、こうしたことの“行き着く先はどうなって行くのか?”です。
思い浮かぶのは、デザイナー・イラストレーターや若い技術者がコンピューターゲームや印刷物などなどで製作している作品のジャンルに踏み込む事になり、写真家としての作品からは遠く離れる結果になるのではないかということです。
現在の多くのイラストレータが創り出す作品には非常にすばらしく魅力的な作品が沢山創られており、しのぎを削っている。
それなら、今σ(^^)のデスクトップを飾っているピクチャー(宇宙の画像…イラスト)の方がよっぽど神秘的で魅惑的だ。
重ねて言いますが、《写真》としての領域から逸脱してしまい《デザイナー》の分野になってしまうのでは?と思うのです。これは良いのか悪いのかは分かりませんが、写真を子供の時からずっと愛好しているσ(^^)としては大いに疑問ではあるのです。
雪の降る冬の寒い朝早くから体を凍らせて、ひたすら一瞬のシャッターチャンスが来るのを何時間も待ち続けたりして撮影している写真家や。危険な場所へ出向いて撮影している写真家たちが、この傾向を見て何と感じるのでしょうか?
2002.7.17
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