[iwasetokue~]その10
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【サマータイム】

 また、「サマータイム導入」が検討されているそうだ。 どうしてこうも、何度も何度も同じことを繰り返すのだろう。

 私がまだご幼少のみぎり(言うか?)一度導入されたそうだ。 そして、幾年か年数は記憶に無いが、以前検討されたことを 記憶している。その時最初に感じた気持ちは 「♪サマータイム」と言う音楽と共に、その響きが欧米崇拝の ような、一種『先進的』思いがして、まだ若い頃なんですね、「カッコイイ」と言う ような気がしたと記憶してます。

 が、当時ですら、結果、見送られたとも記憶してます。 最初の導入は、やはり日本の風土に合わなかったため、色々な 弊害の方が多くて廃止になったそうです。 そして、欧米崇拝などは無くなったと思えるような昨今ですが、 文化の蔓延状態が欧米の、それも低層階級のと思えそうな、レベルの 低い文化で凌駕されている状態を見るに付け、今だに「欧米崇拝」が 根本を支配しているのではないかとすら思えます。

 そうしたことを感じながら、最近の日本内での一律的品の悪さに、やり場の無い、 何を言ったところで社会の流れに委ねてしまう最近人間の性(さが)と社会構造に、暗鬱 なもやもやで、少しでも何かを言いたくなる気持ちです。

 年寄の愚痴の様に聞こえそうですが、もっともっともっと、次のことも考慮の対象に入れてほしいものです。

《 文 化 の 相 違 》

 「ちょっとしたアイディア」で考え付いただけでは計れない、「民族が安心して受け入れ られる事柄」を感じ取ってほしいのです。 こうしたことを書きましたのも、邦楽にも同じ様なことが言える現象があるからなの です。(その事自体は別タイトルでUP予定ですので、そちらをご覧ください。)

 上記「」で囲んだ部分の意味が通じにくいと思いますので、例えて言いますと、次の ような感じです。

 ■ここに四角い入れ物が有ります。

 ■その入れ物の中に幾つも入る程度の大きさの異なる物が沢山有ります。

  A、がしゃがしゃっと全部をいっしょくた(いっぺんに)に入れてしまい、容器をゆさゆさゆすってますと、「収まるように収まる」

  B、収納上手が経験と感で、あれこれ工夫して、しっくりと収納してしまう。

  C、入れ物の容積を計り、物のそれぞれの奥行き・長さ・容積などを細かくはかり、ぴったり収められないかを計算する。

 ここで、「A」「B」が、私が良く言っている「人知の及ばないところ」の部類で、東洋的 発想に、その多くの割合が有るように思えます。そして「C」が西洋的発想かと思うからです。とりわけ「B」なぞは「匠」の技や「修行」の結果もたらされるような、日本の文化そのものです。(修行の結果もたらされたものが、理屈にも合っているという事が多く有る。が、それは、理屈から求めたのでは求められない〈プラスα〉が含まれる。)

 日本の音楽の良さは「割り切れ無さ」に有って、西洋の音楽の良さは「理論的完成度 」に有るのかな?などとも感じるこの頃です。

 昔から日本人は、受け入れられる新しいものを貪欲に吸収して自分たちの文化にしてきましたが、最近は食傷気味で、消化し切れないうちに言葉だけが(例・ビッグバン など)先行して、ひとつの言葉を知ると、まるで熱にうかされたように動いて行っているように思えます。流行ばかりを追う生活性がそうさせるのかも知れません。

 世界の中でも日本(東洋)の文化感性はまた、ことさら特別なものを有します。髷(まげ)や着物や日本料理の例を引くまでもなく、ありとあらゆる生活が、2000年の歳月の結果に取り入れた文化で成り立っていました。

 我々の世界などでも、例えば文楽や舞踊などで、後ろに出てくる「くろこ・後見」なぞはどう見ても見えているのに『見えていないことになっているから、見えない』という、なんとも不合理の代表のような民族性。「Bravo」ではなくて、「待ってました!」「○○屋!」とか、義太夫での「どうする連」(脚注)などなど、なんとも面白いと思うのですが。

 「割り切れ無さ」の文化圏へ「理論絶対主義的」文化圏をただ無節操に受け入れているだ けで、「間違い無く発展」となるのでしょうか?

 蛇足ですが、本当は「太陽暦」より「陰暦」にした方が生活の動きに密接度が高いように思っています。(今さら無理でしょうが…)

《 体 調 へ の 配 慮 》

 それと、話が分散されるようですが、どうしても忘れてならない事に、体内時計に関する心配が有ります。

 それまでの時間進行になれた身体・体内時計と、各個人個人の体調の対応は、ちゃんと考察に入っての事なのでしょうか?

 世の中には1時間早起きしたからと言って、すなおに早く寝れる人ばかりとは限らないのでは?そこへ無理矢理早起きが強制されたら、その人の体調は大丈夫なのでしょうか。ようやく慣れたら秋にはまた1時間遅くなるのでは、「元気に働け!」の国民がくたびれてしまうのではないでしょうか。

 やみくもに健康な人ばかりではなく、ささいな変化で体調を崩してしまう人も大勢いることを忘れているのではないかと気掛かりです。

 『サマータイム』には、そんな心配がしてなりません。

                  〈支離滅裂乱文集より〉11/3/25

[どうする連]

 明治時代、義太夫華やかなりし頃、「娘義太夫」が盛んとなり、サワリ(今で言うサワリの語源)のところへさしかかり、『待ってました!』となって『どうするどうする』と観客席から声がかかりフィーバーしていたので、そうしたファンのことを《どうする連》とよんでいた。


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