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こんな事考えてみました。
【多数決】
どうもこの多数決というのは、烏合の衆の決め事のようで、高度な判断には向かないようです。
それに変わる意思決定方法はないのでしょうか?
回答迄には至りませんが、こんな方法はどうでしょう?
その事について投票するにはその事柄への一定の理解度を持った人々が投票する。
つまり、これは現在の選挙権にも応用出来そうです。
少なくとも「人気投票」で決まっているような現在の政治家選択方法よりもよりベターではないかと思えます。
何でもかんでもテレビや情報が世の中のムードを引っ張って行ってます。
大変危険です。
テレビは「威張り過ぎ」です。
議員・大臣は言うに及ばず、総理大臣でさえも『呼んでやる』呼ばわりです。
テレビ討論などで発言するコメンテーターと称する人々が、テレビ界外部から出演に来る人々を顎で指図している。
そんな侮辱をもじっと堪え、プライドも何もかなぐり捨てた人が出演しています。
勿論『出演することが自分を有名にするから』と言う目的が当人側にも利害としてあるから、テレビ側は、そこを良く知っていて足下を見て、益々上から目線に成ってゆくのです。
何でもかんでも騒ぎ立てすぎるから『人物』が育ちません。
小物だらけになっちゃう。
こう頻繁に、人気だけでリーダーが入れ替わる程『人物』の育つスピードは早くありません。
素人が人気とムードで騒ぎ過ぎ。その情報はテレビ・マスコミが主にもたらしています。
政治は人気投票で決めてはいけません。
そこで、そのような《操作された情報》に振り回される事の無いような人々が投票するシステム、選挙権免許証のようなものを持っている人が投票出来る方が、顔立ちと人の意見やムードで投票してしまう人気投票よりはましな結果が出るのではないでしょうか?
次元の低い事を決めるなら多数決も有効でしょうが、政治への判断などは、素人判断ではなく、プロや有る程度知識を持った人々の判断が必要です。
その「プロフェッショナル」を選ぶ選挙はやはり大勢の一般市民に与えるのは不適切と思われます。
現在の選挙権は一見民主主義の根幹を実践しているように見えますが、それはレベルを下げる事にしか繋がってないような現象です。
こうした事を続けていては自由主義圏は独裁政治などには太刀打ち出来ないでしょう。
尤もこの意見を採用するのには、あるハードルを越えなくては成りません。
『このシステムにしましょう』と決める方法を何で決めるかと云う、パラドックスのようなハードルです。
このぐらいの次元なら多数決でも良いのかもしれませんが・・・