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【ついにそこまできたか】
未来の車社会を、みんなが研究している。
当然「自動無人運転」に行き着くだろう。
その前段階では、いま運転しているマイカーの
「有人自動走行」が具体策として行われて行くだろう。
その、報道される、いま研究している内容を聞くと、
運転はますますつまらなくなってゆく方向に発想が向かっている。
初めに考えなければならない事が車間距離の事。
車間を空けろ〜空けろ〜と言うけれど、
一体全体、前を走っている車が突然ぴたっと止まってしまう
シチュエーションって存在するのだろうか?
前の車が止まるのに100メートルかかるのなら、
こちらも100メートルかかるんだから、
理論上は1センチでも後ろを走っていれば衝突しない筈である。
勿論、個人の反射神経の相違や車によるブレーキ性能の
違いがない仮定の話だし、全くの可能性が無い訳ではないが、
そんな可能性より追い越し車線を制定速度で走っている方が危険です。
だから、必要以上に車間距離を空けるのは割り込まれてかえって
危ない事の方が重大に思える。
あくまで、正直な現状の話をしています。
だから、警察指導のしかたは間違えている。
今の制限速度のあり方も、速度を設定する人の頭が古いのである。
ひとつのニュースがある。実際に愛知の方で採られたと聞いたニュース。
一般道路の最高速度を実際の速度に合わせて70キロにした所、
事故は減り走行も大変スムースになったそうだ。
実際に走っている人達の方が実情にそぐわしいのである。
むかし、首都高速が新宿から羽田迄開通した時、
たしか時速は70hだったと記憶する。
そして、そのころ、70キロで走行した時
「すごい!70キロで走ってるーッ!」と、興奮したものだった。
100キロになった時も同じように興奮したが、
100キロに慣れると70キロは歩いているようだった。
時速300も出る高性能車を作りながら、速度制限を安全過ぎに
設ける段階に設定した時点で、すでに楽しさは激減する。
運転者はむやみやたらと速度を増すのではなくて、
自分が安全と思える中での最高速度で走行するものなのだ。
300にしろとは言わない。だけどいま、
思い切って100キロ制限を超えても(普通に上手なら150は)
大丈夫なのである。
現状の道路の状態と車の性能の格段の向上は100キロ制限は
間違いなのである。
『車の運転』とは、安全の基本をしっかり押さえた上で
車を操縦すれば、とても楽しく、わくわくする喜びのある文明の機器です。
最近運転している人の中にはそうした心を感じさせない
走行をしている割合が増大している。
ただ走らせているだけなのだ。
それだから、危険なのだ。
〈幼稚な運転者も居るから基準値を下の方に設定しないとならない〉
と関係者がよくのたまうが、その免許を与えているのが
間違いなのではないのか?
我々も、警察が指導している事柄は、
普段あまり細かく気に留めずに鵜呑みにして受け取っているから、
「安全」の二文字があれば安全なのだと思い込んでいる節が見受けられる。
それゆえ、自動運転に発想の舵が切られると、
『安全の上にも安全を』がお題目となり、
そのまた更に『安全を』と考えなくてはならなくなる。
これは、メーカー責任を逃れる為と、警察の責任を逃れるためと
とられてもしかたが無い。
その発想から生まれる『自動』とは、すなはち、
車間距離は50キロ走行なら50メートル以上、
100キロなら150メートル以上の車間を空けて走行する事に
なってしまう。
カラスが置いた道ばたのクルミなんか検知して避けなくて結構。
そこまでして自分で運転さすこと無いじゃぁありませんか!
そんなバカな事を考えているのなら、
思い切って現在の高速道路の分離帯部分からでもいいから、
そこに鉄道を走らせて、車を載せて走ってしまえば
いっぺんに解決してしまうのでは無いだろうか?
何か、考える方向が間違えているような気がするのは
私だけなのだろうか?
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