坪内逍遥原作「一休禅師」より

杵屋徳衛 作曲・若柳史津葉 振付

『一休禅師と地獄大夫』

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【解説】…一休禅師と地獄大夫…

長唄の大作「一休禅師」は、坪内逍遥作詞、吉住小三郎作曲として有名ですが、その一休禅師の原作から、一休禅師と地獄大夫の部分を題材にして作曲されました。

一休さんと言えぱ“とんち”で有名ですが、後小松天皇の御落胤として明徳五年(1394年)に生まれ、剃髪し、臨済宗の僧「一休宗純」となり、一代を自分の信念を貫いて文明十三年(一四八一年)その生涯を閉じました。

寛政の大飢饉から応仁の乱へと続く退廃した世に対し、痛烈な批判行動から「風狂」とも称されました。大徳寺住持の論旨までをも賜る程の高僧でしたが、公然と酒を飲み、女性も愛しました。それは人の心に正直に生きようとする一方、厳しい戒律を謳っておきながら裏で飲酒・女犯肉欲を欲しいままにしている当峙の腐敗堕落しきった禅宗・憎門・憎徒に対する辛辣な批判行動でもあったのです。

【内容】この物語は、一体禅師が旅の空寝に気が付けば、いつしか廓で大夫(以前逢いに行ったことのある、堺は高須町の遊女、地獄大夫…名前の奇抜さと美人で名高い大夫…)とうたた寝をしています。やがて禿(かむろ)が起こしにきて、二人でからかいあっています。大夫が目を覚まし、一休さんが長いこと来てくれながった恨みを言を言うのを、瓢げて受け流します。じゃらぐらしゃらくらじゃれだします。 大夫の問いかける問答を受け流し、そうこうするうちに、廓と思っていた所が、がらがらと崩れ、辺り一面が陰鬱たる地獄と激変します。闇にゆらめく地獄の炎(ほむら)。息を呑むような情景として、あえて相当ゆっくりで単調な同じ音が、かなり長く続きます。こうした部分は演奏者の心理も相当我慢の所ですが、ひとつ息をこらして聴いてて下さい。

そして、大夫と思いしは骸骨となり、禿は鬼となって現れます。「えーいっ 一切は空さ ふざけるな!」とぱかりで、「祈りもなにもあるものか」「今の世の釈迦なら鬼だ。鬼が釈迦だ」と、破れかぷれ、一心不乱のうちに、ついに気を失います。やがて気が付くと、そこは元の野原で、石を枕にしています。




■杵徳会■

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